新潟市秋葉区  店主がクルマやキャンプ・アウトドアが大好きになった理由 旭自動車工業

画像
 店主がクルマやキャンプ・アウトドアが大好きになった理由

  • HOME
  • その他
  •  店主がクルマやキャンプ・アウトドアが大好きになった理由

title

栄光への5千キロ キーハンター 箱スカ GT-R 50連勝

 私が小学生の頃 昭和40年代は、マイカー時代の幕開けでした。

おかげさまで、当社は、本年度、創立五十三周年を迎えることができました。
半世紀に渡り、商いを継続させて頂いたことに心よりお礼申し上げます。
これもひとえに、当社創業以来、たくさんのお客様のご指名、ご用命を頂戴して参りました由、重ねて、皆様に心より深く感謝申し上げます。

実は、私が生まれた年に、当社は、私の父が祖父のタクシー会社の整備部門を引き継ぎ独立させるという形で創業いたしました。
私が小学生の頃の、昭和四十年代は、まだまだ自家用車というものが普及しておらず、同じクラスの家でも、自家用車があるのは、45人中、たった数人だったと記憶しています。
我が家では、たまたま父の仕事がクルマの整備工場を始めたということもあり、まだ砂利道がほとんどの道路の中、よくクルマに乗せてもらっていました。

中でも、私が特に気に入っていたのが、石原裕次郎が主演した、「栄光への5千キロ」という映画で主役となった日産ブルーバード(510)SSSでした。
このSSS(スリーエスと読みます)は、スーパーソニックラインと称され、また流れるテールフラッシャーランプの点滅など、当時としては、ものすごくかっこよかったクルマでした。
また、クーペスタイルも発売されて、すごく人気がありました。しかし、このクルマは、スポーツカーの部類だったので、ただでさえ、自家用車の価格がまだまだとても高いなか、おいそれと手が出せるクルマではありませんでした。

そんな時代、父は、このクルマのグレードが一番低いタイプで、しかもクーペではなく、家族向けのファミリーセダン、デラックスを買いました。私はそれだけでも、すごく嬉しかったのを昨日のことのように思い出します。
父は、このクルマをラリー仕様にして、当時流行していた、ナイトラリー(出発は確か・・・とやの遊園地あたりだったでしょうか?)によく参加していました。

時代は進み、今では、女性も気軽にクルマが乗れる時代になりました。


また、昭和40年代のテレビでは千葉真一と野際陽子、丹波哲郎が出演していたキーハンターが放映される土曜日の夜をワクワク楽しみにしていました。オープニングに出てくる地下駐車場で千葉真一のアクションとともにフェアレディのオープンカーがかっこよく登場するシーンが大好きでした。

当時のクルマは、パワーステアリングやATミッションなどなく、エンジンも、とてもデリケートで、一回でも、かけ方を失敗すると、プラグがかぶって簡単にかからなくなってしまいました。

今はというと、安全を心がけ、ルールをしっかり守れば誰でも気軽に、楽しいカーライフを満喫できる時代となりました。

クルマの価格、維持費も、あの頃と比べたら、とてつもなくリーズナブルになり、本当に便利な時代になったとつくづく思いつつ、自分の年齢と同じ、会社の創立53年目という時間を私自身、感謝の気持ちをもって感じているこの頃です。

私の父は、ドライブやクルマでの旅行が大好きでした。先ほどご紹介した我が家のブルーバード、今は懐かしのレザートップでイエローの車体色、このクルマのトランクにテントや食器、はんごう、コンロを積んで、毎年の夏休み、富士山五合目や富士五湖、榛名湖、飛騨の高山、白樺湖、福島裏磐梯、男鹿半島など、妹と両親の4人でたくさんのキャンプでの思い出を作ってくれました。

私が中学校に入り、吹奏楽部の部活動で旅行にいけなくなるまで、このキャンプは続きました。 この思い出は、私の心深く刻まれた、大切な宝物となっています。
こんな環境の中で育った私は、クルマが大好きになり、キャンプも大好きになりました。 私の子供たち《現在、小三の息子と小一の娘》も、2歳ぐらいから、家内を巻き込んで、キャンプやアウトドアを体験させ、すっかり子供たちもキャンプのトリコになっています。春と秋にアウトドア仲間と定期的に行うキャンプは、毎回10人~15人が集まるにぎやかなイベントとなり、我が家にとってかかせない恒例行事となっています。

さて、車検整備、修理、保険に関するご相談、新車、中古車のご購入につきまして、みなさまの安全、安心のために当社スタッフ、メカニック一同、一生懸命仕事をさせていただく所存でございます。 ぜひ、当、旭自動車工業をご用命くださいませ。当社スタッフ一同、みなさまのご指名を心よりお待ち申し上げます。 みなさまのご多幸と交通安全を心より、お祈り申し上げます。  

 スカイライン GT-R 50連勝

もうひとつの子供の頃の思い出

私が小学生の頃、いろんなメーカーディーラーの営業マンが当社を担当していました。中でも、私が大好きだったのが、日産プリンスの営業マンの野本さんという方でした。


小学生の私から見ても、箱型スカイライン 特にKPGC-10 2ドアハードトップの2000GT-Xが最高にかっこよく、大人になったら、このスカイラインとフェアレディのオープンカー SR311 の2台を絶対に持つんだと硬く心に誓ったものでした《その夢はいまだ実現していませんが・・・》


このかっこいい、スカイラインの新車を販売している野本さんが、私にとってはかっこよく、まぶしく、あこがれの人でありました。

日産プリンスの展示会がある度に、父にせがんで会場へ連れていってもらっていました。その後 相合傘をモチーフにした、スカイライングッズ ケン&メリー のTシャツやマグカップ・キーホルダーやステッカーなどをコレクションしまくりました。 今とっておけば、なんでも鑑定団に出したいくらいですが、見事に全部、行方不明です・・・。


箱スカGT-Rのレーサー 高橋国光や長谷見正弘の50連勝、後の星野一義の活躍など、スカイラインが大好きでした。
バズのケンメリソングのレコードを買い、ケンメリのCM ←なつかしのCM YouTube のカップルがすごくおしゃれで、最高にイケてた、あこがれのクルマでした。


そんな思いが募り募って、整備士の資格を整備短大で取得後、整備士としてではなく、営業マンとして、日産プリンスに就職することができました。当時は、ニューマンスカイラインが新発売となり、4気筒スポーツエンジン搭載のRSが発売された頃の時代です。

自分の給料で初めて買った新車は、もちろん月賦払いですが、発売されたばかりのラングレーでした。それまでは、父が用意してくれたブルーバードUのSSSの古い中古でしたので、新車を手に入れた時は。格別の嬉しさでした。その何年後かに、ニューマンスカイラインの2000GTパサージュを新車で月賦リース、これが自分にとって初めて購入した、6気筒ターボでした。当時の金額で220万円位だったと思います。
こんな風に、スカイラインと出会い、その縁で、私は青春時代に、日産プリンスの営業マンとして過ごしてきました。

その他の他のページ

Valid XHTML 1.0 Transitional Valid CSS!